五感と一想

食べる、読む、寝る、考える。

自己責任論の結果責任

自己責任論には常々ウンザリする思いでいたが、まあそれでも時と場合と人によるよな、と。

ちょっと今朝は考えがまとまる瞬間があったので書いておく。

 

自己責任って、起こりうる危険の可能性を各自判断して行動しなさいね、って事だ。

しかし判断するためには情報が必要なわけで、誰もその情報を持っていない時に、調べて集めて皆に伝えようして危険な目に遭った人を「自己責任」で切り捨てたなら、何を頼りに判断する事になるのだ。

大雨洪水警報が出ている時に川や田圃の様子を見に行って流された人を愚かと嘲笑う人もいるけれど、堤防が崩れていないか、崖崩れが無いか点検して廻っている消防署員に危険だから止めなさいとは言わない。
やらないで民家に被害が出たら、むしろ国や自治体の手抜かりと訴える。

自己責任論は「個人に直接関わらない事は国や自治体に任せて、自分は邪魔にならないようにしていれば良いようにしてもらえる(はず」という考えから出てくる。

それは、思考停止だ。

危険だ、という情報を誰が伝えてくれているのか。
なぜそれが伝えられているのか。

危なそうだから近寄らない、
知らない場所の事だから関係ない。

そんな思考停止をしていても、相手には関係ないかもしれない。